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 さきさ れね

Author: さきさ れね
[2010/12/26]から ブログを開始
[2010/12/29](冬コミ)から
個人サークル「ロケット★えんぴつ」
での活動開始。性別は♂ 埼玉在住。

Twitter @Sakisarene

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お題30【03/30】
 リンク「お題30とは?」 2010/12/28記事


 お題03「ゴミ屋敷からの未来の展望」
「Garbage residence」

 こちらは「2010/03/09」に掲載されていたものです。
 ご覧になりたい方は 下の 続きを読む をクリックして下さい。





 変わりたい自分がいるのに、変われない自分がいる。
 玉置宗輔(たまき・そうすけ)には、それが辛かった。

 残されたからには、生きなければならない。
 だけど、どこかで死んでもいいと思っている自分がいて、そんな自分の
弱さがまた憎かった。

 高校生の玉置宗輔は、交通事故で家族を失った。

 父も、母も、妹も。
 自分以外の全てを、一度に失ってしまった。

 それまで玉置宗輔は、家族について深く考えたことなどなかった。
 仕事一筋の父と、料理が下手な母と、我侭で自分本位な妹。

 年齢的にちょうど反抗期の頃合だったのもあって、友達と過ごす時間の
方が楽しく思えたし、家族とは一定以上の距離を取って接していた。

 そんなときに起こった事故。

 家の中にいると、家族のことばかり思い出して、気が滅入ってくる。

 これまでのことと、これからのこと。心をどん底に突き落とすには
充分だった。

 このままではいけないと思って、無理矢理に明るくて楽しいことを
考えようとしても、結局は似たような思考へと行き着いた。

 今の思考回路では、明るくて幸せなことなんて考えられないのだと、 
なんど思い知ったかわからない。

 なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか。
 別行動をしていたからなのだろうけど、もっと他に、もっと大きくて深い
理由があるような気がしてならない。

 けど、その理由がわからない。
 残された者へのプレッシャーは、残された者にしかわからない。
 これからも一生かんじながら、向き合いながら、生きていくことになるの
だろう。

 カーテンを締め切った二階の部屋が、玉置宗輔の自室だった。
 六畳ほどの部屋は、荒らされたまま薄っすらと埃が積もり、残飯で
溢れていた。 

 黒いジャージは埃塗れで、髪はボサボサ。
 様々な臭いが入り混じる部屋。
 下のリビングも大差ない状態だった。
 一階は家族共用のスペースだったから、どうしてもこの部屋より、色々なこと
を思い出させる。

 だから、此処にいた。

 この部屋にあるほとんどの物は、あるとき玉置宗輔が手にして、手当たり
次第に壁や床に投げつけていた。マグカップの破片や漫画、文房具。
 その他諸々の物が、あちこちに飛散していた。

 玉置宗輔が深く本棚に寄りかかると、漫画の一冊が、ポトリと隣に落ちてきた。
 家族を失うまで、大好きだった漫画だ。

 最新刊の発売日には、それを買いに行くのがまるで自分に課せられた使命の
ように本屋に走った。

 だけど今は、手にして見てみても、なにが面白かったのかわからない。

 なんで自分は、こんなご都合主義の設定の漫画を、意気揚揚と集めていたの
だろうか。

 玉置宗輔は、その漫画を力なく放り投げた。

 そして、それが地面に辿り着くまでの間、なんとなく眺めていた。


● ● ● ●


 玉置家は、ゴミ屋敷と化していた。

 それは、テレビで紹介されるような極端なものとは、少し違うかもしれない。
 外から見れば、普通の二階建て一軒家に見えるかもしれない。

 だけど、一度足を踏み入れれば、埃だらけ。

 この家は、残された住人の弱さをわかりやすく象徴していた。
 本当は、自分のクズさ加減を思い知るから、この家にはいたくない。
 けど、他に居場所はないし、最初はいちいち憤ってみたけど、疲れて虚しい
だけだと知っていた。

 今はもう、全てがどうでもいい。

 死んでもいいとさえ思っているから、食欲はない。
 だけど、とんだ矛盾で腹は鳴る。

 だから玉置宗輔は冷蔵庫の中を見て、少しでも食べたいと思えた物を
口にして、その場に座り込む。そんな生活を送っていた。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。
 その全てを封じることができれば、なにも考えないで済むのに。

 意外とそれが難しい。

 無干渉と無関心を貫けば、とりあえずは生きていける。
 ただ、今日も生きていける。

 玉置宗輔はふと、最後に口にした物を思い出した。
 それは、魚肉ソーセージだった。

「ああ、餌……。買い出し……」
 それから、冷蔵庫の中が危うくなっていることを思い出した。
 そろそろ、一度買いに出ないといけないだろう。

「死にたいのか、生きたいのか」

 もう、自分でもわからなくなっていた。
 誰かに決めて貰えれば、どんなに楽なのだろうか。

 そんな風に思ってしまう。

「くそう」
 玉置宗輔がポツリと呟いたときだった。

 床に転がっていたケータイが、けたたましく着信アピールを開始した。

 ブザー音が、室内に響き渡る。

 今の玉置宗輔は、相手を選ぶ。

 大抵の相手は、シカトする。
 あんなことがあってから通話したのは、一人だけだ。
 ケータイの画面を見た玉置宗輔は、呟いた。

「オジさんか」
 玉置宗輔が出る唯一の相手。
 それが、比較的此処からも家も近い――オジさんだった。

「もしもし、宗輔か?」
 玉置宗輔が出ると、さっそく先手を取られた。
 
 後ろめたい気持ちがあるからか、いつもオジさんの二言目を
ついつい警戒しながら待つ玉置宗輔だった。

 オジさんやオバさんとは、玉置宗輔も顔見知りだった。
 家が近かったのもあって、誰か誕生日とか、ことあるごとに
集まったりしていた。

 そして、事故があったあの日からも、葬儀をはじめとして、
色々と世話になったりしている一番身近な親戚だった。

「そうだよ」
 玉置宗輔は明るく答えながら、ちらりと部屋の様子を視界に収める。

 なにが「そうだよ」だよ。

 強がる自分が醜く見える。
 ふいに、自嘲的な笑みがこぼれたのがわかった。

 必要以上に心配させたくないのと、あまり頼りたくないのと、その他
諸々の気持ちが重なって、オジさんオバさんの前では強がっていた。

「別に用事はないんだ。ただちょっと気になってな」
 オジさんはそう続けた。

 玉置宗輔は学校をずっとサボっていたから、オジさんに「学校の話題
を振られたとき」には少し焦った。

 玉置宗輔は「まぁ、それなりに――」と、曖昧な返事で逃れておくことにした。
 さすがに、本当のことは言えない。

 会話の節々で、オジさんが自分を励まそうとしているのを感じた。
 実際に、救われている自分がいるのも事実だった。
 それが悔しいし、虚しい。

 すぐにでも一人でなんでもこなせるようにならなければ、居なくなってしまった
家族は、安心できないだろう。

 だから、早く大人にならなければ。

 玉置宗輔の中には、そんな強い焦りがあった。
 なのに、現実と理想の差だけがハッキリクッキリしていて、その差ばかり
明らかで、鬱になる。

 自分はまだ、何もできていないのだと、なんどそう思い知れば、いいの
だろうか。

 ゴミ屋敷の中にあって、
 その1つのように、僕はクズだ。

 玉置宗輔は、溢れた雫を指で拭った。

 初めてではなかった。
 イラつきが募るほど手慣れたもので、ケータイは無意識に
口や鼻から離していた。

「それじゃあ、なにかあったら言うんだぞ?」
 オジさんの言葉に相槌を打って通話を終えた。

「くそう」
 玉置宗輔は、ケータイを持っていない左手で拳を作って、力なく床を
叩いていた。

 なんで、こうなんだ。
 どうして、こう……。

 自己嫌悪の始まり。
 それは突然にふとしたきっかけで、まるで優しく寄り添うようにやってくる。
 結果はいつも同じ。悔しくて、虚しくて、泣けてくるだけだ。

 これまでも、たまに衝動が止まらなくなることがあった。
 こんなことしても、意味がないと頭ではわかっていても、視界には徐々に
力を帯びていく拳が見えている。
 床を叩くたびにほんのり赤くなっていく拳を、もう一人の自分が眺めている。
 やがて瞳は涙で潤って、視界はぼやけていく。

 だけど、止まることはない。

 ――知ってるよ。
 僕がなにかに疲れるか、なにかを諦めるまで続くんだろ?
 弱虫で、泣き虫で、無力な僕がたまにやる「無意味な儀式」
 きっと人は、八つ当たりとでも言うんだろうな。

 そんなときに、またケータイが鳴り出した。
 突然の着信音に驚いた玉置宗輔は、反射的にボタンを押していた。

 オジさんはよっぽどのことがない限り、かけ直したりはしてこない人だ。
 オジさんから電話があったのだから、オバさんでもないだろう。

 つまり、他の人か。
 今までシカトしてきた人だったら、どうしよう。
 なにも言わずに切っちゃうなら、早い方がいいよな。

 そう思ったが、相手は見たことがない電話番号だった。
 少なくとも、登録している相手ではない。
 最初の三桁でケータイからかけられたであろうことはわかった。

「もしもし、玉置君のケータイで間違いないでしょうか?」
 そして、聞こえてくる相手の声。
 声の主は女性だった。
 どうやら、こちらの苗字は知っているらしい。

「そう――だけど?」
 相手の丁寧な口調に警戒しつつも、玉置宗輔は応じた。

「私、クラスメイトなんですけど、誰かわかります?」
 ふいに、そう訊かれていた。
 試すような、からかうような口調だった。

 少しばかり無神経とも思える相手の声……。
 確かに聞き覚えはあった。

 クラスメイト、ね。
 だけど、ぼんやりとした今の頭では、脳が上手く働きそうにない。
 玉置宗輔は、早々に降参してしまうことにした。

「ごめん。わからないや」
 多少なりとも沸いてくる「付き合ってられない」という気持ちを隠しながら、
玉置宗輔は言葉を返した。

「神田朱美。クラス委員をさせて頂いております」
「朱美さんか」
 うちのクラスには、神田という苗字の女子が二人いるもので、
余り親しくない玉置宗輔でも、下の名前で呼ぶことを義務付けられていた。

「それでお話と言うのは……」
 神田朱美(かんだ・あけみ)は切り出しづらそうな気配を見せる。

 やはり、学校を無断欠席していることだろうか。
 いや、それなら、担任の先生から直接電話がかかってくるだろう。

 玉置宗輔はあれこれ理由を考えてみるものの「もしかして、心配されてる?」
くらいしか、思い浮かばなかった。

「机の中のプリントが」
「え、プリント?」
 意図せぬ単語に、思わず訊き返した玉置宗輔。

「はい、プリントです。机の中のプリントが、
 そろそろ溜まってきてしまったので……」

「あぁ、そう言うこと、ね」
 わりと、どうでもいい話だった。

「はぃ、もし宜しければ、これからお届けに伺おうかと」

「ちょっと待って」
 言われてすぐに、玉置宗輔はこの家の状況を思い浮かべた。

 とてもじゃないが、人を招けるような状態ではない。
 それに、神田朱美に「お線香をあげさせて頂いても宜しいですか?」と
言われて、断われる自信もなかった。

 どうすればいいのだろう。

「それって、今日じゃなきゃマズイ?」
「マズイってことはないでしょうけど、できるだけ早い方が宜しいかと
 思います」

 それはそうだろう。

 仕方ないか。
 玉置宗輔が咄嗟に思いついたのは、最後の手段と呼べるような
奥の手だけだった。

 だから、できれば使いたくない。
 けれど、クラス委員という立場だけで、これ以上神田朱美に
迷惑をかけるのも悪いような気がした。

 それを踏まえて、玉置宗輔は口にした。

「僕がこれから学校に取りに行くからさ。
 そのままにしておいてくれないかな」

 その言葉を告げるには、勇気が必要だった。
 腫れ物を扱うような待遇が嫌で、学校を避けていた身である。

 誰かに会ったら、どうしたらいいかわからない。
 もちろんそれは、相手が神田朱美の場合も含まれていた。

「どれくらい、かかります?」
 神田朱美に、朗らかな声で訊かれた。

「えっと、自転車で二〇分くらいだから、準備込みで一時間くらいかな。
 あ、朱美さんは先に帰っていていいからね。わざわざありがとう」

「いえ、どう致しまして。プリントは紙袋にまとめてありますので」
「ああ、そんなことまで」

「それと――」
 玉置宗輔は、神田朱美の言葉の続きを待った。

「玉置君の電話番号は田口君から伺ったのですが、
 とても心配していましたよ」

「うん、ありがとう」
 彼は、親友ということになるのだろうか。

 同じクラスの田口克(たぐち・まさる)。
 高校入学当初からの付き合いだ。
 名前が近いから席が前後で、それがきっかけで親しくなった。

 彼からは何通もメールがきていたが、そののメールを見ていると
現実を思い知らされて辛かった玉置宗輔は、自分のメールアドレスを
めちゃくちゃなアドレスに変更してしまった。

 当然、それからメールはこなくなった。
 それからも電話もたまにかかってきていたが、出たことはない。

「今度、こっちから連絡してみるよ」
 玉置宗輔は努めて明るく告げた。

 絶対にできる保証なんてない。だからこそ、玉置宗輔は口にした。

「それがいいと思います」

 相手が他の誰かでも、一度口にすれば、それはきっと約束になる。
 そうなれば、次、田口克を思い出したときに、僕はきっと、彼に電話すること
ができるだろう。

 その後すぐに、神田朱美との通話は終わった。
 それからの玉置宗輔は、慌しかった。


● ● ● ●


 夕暮れどきの高校までの道のりを、玉置宗輔は自転車で走っていく。
 葬式のときに最後に着た詰め襟の学生服に袖を通して、その前には
シャワーも浴びて、身なりもそれなりに整えた。

 自転車通学の生徒が良く通る道が近づくにつれて、玉置宗輔は少し
挙動不審になっていた。

 同じクラスの生徒に会わないものか。知り合いに会わないものか。

 同年代の人の声が聞こえるたびに、思わずそちらを見てしまう。
 周りの人から見て、自分はどのように映るのだろうか。

 突然、家族を失って、学校をずっと休んでいる。
 幸い声をかけられることもなく、玉置宗輔は学校へと辿り着いた。

 駐輪場に自転車をとめて、げた箱から校舎内へと足を踏み入れた。
 階段を上って、二階へと向かった。

 数人の生徒とすれ違ったが、学年が違う生徒だったので、声をかけ
られることはなかった。

 玉置宗輔のクラス、三組の教室の引き戸は、閉められていた。

 まさか、鍵がかかってるなんてことはないよな?
 少しばかり焦る、玉置宗輔。

 無断欠席の生徒にとって、職員室は面倒な場所だった。

 指を当てると、扉は動かすことができた。
 ゆっくりと音を立てながら、開けられた引き戸。

 安堵の息を漏らすと同時に、玉置宗輔は自分の席の方を見渡した。

 奥の窓際から二列目、前から四つ目の席だったはずだ。
 玉置宗輔は、窓から差し込む夕日が眩しくて、目を慣らしてから
そちらを見やった。

 玉置宗輔の机の上には、神田朱美が座っていた。
 この学校指定の紺色のセーラー服。

 スカートの裾からのぞく両足をパタパタと交互に揺らしながら、

「あ、玉置君だ」
 神田朱美は、そう言って微笑んだ。

 黒ぶちメガネの隙間から見える大きな瞳。
 さらさらと流れるような背中までの黒髪。

 玉置宗輔の机の脇の、荷物をかけるホックに手を伸ばすと、
神田朱美は学校の校章の入った紙袋を、すっと持ち上げた。

「はい、どうぞ」
 神田朱美が、紙袋をこちらに向けて差し出した。

 距離にして、五、六歩ほど。
 玉置宗輔は、他の机の間をすり抜けるようにして、自分の机の前に
辿り着いた。

「待ってなくていいって言ったのに」
 ひがむような口調になってしまった。
 ゆっくりと、紙袋を受け取る玉置宗輔。

「あぁ、この袋って、入学式のときにも配られたよね?」
 玉置宗輔の口から、どうでもいい言葉が漏れた。

「あ、確かに。入学式か――ちょっと懐かしいですね」
 神田朱美はそう返すと、コホンと咳払いを一つした。

「待ってるつもりはなかったんだけど、図書室にいたら、ちょうどいい時間に
 なってたのよね。玉置君、一時間くらいでこれるって言ってたから
 今、行けばいるのかなぁって」

 悪びれた様子もなく、微笑んだ神田朱美。

「僕が早く着てたら、会えなかったけどね」

「そうよね。ま、会えて良かった。それに、思ったより元気そうで」

 少し表情に影をおとしながら、神田朱美は言ってきた。

 続ける言葉を探していたようだが、どうやら見つからなかったようで、
神田朱美はそのまま口をつぐんでしまった。

「色々とありがとう。色々あったけど、もうすぐ学校にもこれそうだよ。
 いや、こないといけないんだよなあ」

 玉置宗輔はもう大丈夫とばかりに笑って見せる。
 こちらが明るく振る舞っていないと、気まずい雰囲気になりそう
だった。

「そう、転校とかはしないのね」
「え、転校?」
 ――して欲しいのだろうか。

「親戚の家に引き取られるとか、そう言う事情もありえますよね。
 あ、ごめんなさい。さっきから立ち入った話ばかりで」

「あぁ、そう言うことね。この学校もオジさんのところからなら、
 電車で通えると思うよ。さすがに、ちょっと遠くはなっちゃうけどね」

「そっかそっか」
 神田朱美は、言いながらゆっくりと人差し指を立てた。

 玉置宗輔は、その指に視線をおとす。

 その指は、ゆっくりと近づいてきたかと思うと、玉置宗輔の唇へと
当てられた。

 ――細くて白い指先。

「これから時間ありますか? 玉置君」

 ――そして、どこか妖艶な雰囲気の神田朱美。

「予定はないけど?」
 玉置宗輔の声は、見事にどもっていた。

「私の、裏の顔に興味ありますか?」

 ――まだ、続くらしい。

「裏の顔?」

 ――裏が、あるんですか?

「あるのかないのか、答えてくれればいいから」

 神田朱美が、メガネの奥から、少し強い視線で睨んでいた。

「少し――あるか、な?」
「そう、あるのね」

 どんなことを期待してそう答えたのかはわからない。

 それは神田朱美の「裏の顔」がどうこうと言うより、単に目力
に圧されたと言うか、あまり話したことがなかった神田朱美と、
もう少し話してみたくなったと言うか、そんなかんじなのかもしれない。

 彼女はどこか不思議だった。

 彼女といると、なぜか家族失う前の、日常を当然のように
持っていた頃の、平凡な玉置宗輔が姿を見せる。

「そういうことね」
 玉置宗輔は思わず呟いたが、神田朱美には聞こえなかったらしい。

 あの事故がある前、この場所に通ってたから、此処にきて
無意識に以前の自分に戻っていたらしい。

 玉置宗輔は、思い出していた。
 日常と言う名の幸せを、当然のように持っていた自分を。

 戻りたいけど、絶対に戻ってはこない。
 そんな日々を――。

「ちょっとごめんね」

 玉置宗輔の耳に、聞き慣れない着信音が聞こえてくる。

 神田朱美が窓際の方へと小走りで向かったところを見ると、彼女の
ケータイに電話がかかってきたらしい。

 それを裏付けるように、神田朱美は、ケータイを右耳に当てた。

「もしもし鏡ちゃん、今どこ?」
 親しげに話かける神田朱美。

「今、近くの信号で捕まった。もう十分はかからないと思うぜ」
 良く通る、イケメンを思わせる声だと思った。

「じゃあ、校門のとこにいるね」

「らじゃ」

 そこで、話は終わりらしい。
 ツーツーという音の後に、神田朱美の指によって、ケータイはすぐにたた
まれた。

「ほら玉置君、行きますよ」
 背中を押された玉置宗輔は後ろを振り返る。

 だけど、玉置宗輔が口を開くより前に、

「これからのことは、二人だけの秘密ってことでお願いします」

 神田朱美の、有無を言わせぬ微笑みがあった。

 玉置宗輔は少し考えるが、結局、なにも言わなかった。


● ● ● ●


 校門の前に最初にやってきたのは、黒色の軽自動車だった。
 通り過ぎるかと思いきや、どうやらお目当ての車だったらしい。

 ゆっくりと運転席側の窓が開いて、

「帰りはちゃんと学校まで送ってくから、安心してくれ」

 ハンドルを握る男性は、開口一番そう告げた。
 玉置宗輔は自転車を学校の駐輪場に置いたまま、軽自動車に乗り込んだ。

 シェアハウス。

 赤の他人同士が一緒に暮らす家。
 簡単に言えば、玉置宗輔が神田朱美と通称「鏡(きょう)ちゃん」の運転する
車で向かうことになったのは、そんな家だった。

 道中、神田朱美が話してくれた。

「私もね、ちょっと玉置君と似てるのよ。小学校のときに両親が離婚してね。
 私はお母さんの方に引き取られることになったんだけど、普通の子供より
 少しだけ、恵まれてなかったのよね」

 誰もが、当たり前のように持っている物を持っていない人。
 それを不幸だと言うのなら、事故で家族を失った僕は、不幸ということに
なのだろう。目の前に座る神田朱美も。

「私のお母さんはパートを始めて、だから私は、学校が終わるとずっと家に
 一人でいることが多かったの。それがお母さんも気がかりだったみたいで。
 なにか手はないかって、ずっと考えていたみたい」

「そこで、俺の登場ってわけ」

 鏡ちゃんは、ルームミラーでちらりとこちらを見やると、フッと笑った。

「俺と朱美は年の離れたいとこでね。俺はこんなナリだけど、年は三十ちょいで、
 仕事はウェブデザイナーをやってる」

 現在、運転席には、薄い金髪に赤いメガネの男、鏡ちゃんが座っていた。
 神田朱美は助手席に座り、玉置宗輔は後部座席に座っている。

「自宅で仕事できるってのは、気楽でいいぜ」

 ケラケラ笑いながら、鏡ちゃんはアクセルを踏み込んだ。

 信号が青に変わったらしい。

「俺が、今のあの家に入ったばかりの頃かな。当時からいるメンツは、
 クロやんって呼ばれてる飲んべえのサラリーマンと朱美くらいしか
 残ってないんだけどさ」

 大通りを右折して、車は徐々に速度を上げた。

「俺は結構、当時からシェアハウス気に入っててさ。朱美の母親に、
 もし良かったら、俺に預けてみないか? って、言ってみたのよ」

「結果的には、それでとんとん拍子に話が進んだわけ」
 神田朱美が玉置宗輔の方に身を乗り出してきた。

「当時のお母さんね、私に謝ってばかりいたの」

「不幸な目に合わせてごめんなさいって。私も私で、子供ながらにこの人を、
 自分の親を心配させちゃダメだって思って、だからまぁ、いい子であろうと
 したのよね」

「当時のお前の、どこかいい子だ」
 昔を思い出しながらか、鏡ちゃんが笑う。

「シェアの中じゃ、猫かぶってなかったもん私」

「周りが他人だからね、それが上手い具合にはたらいて、お互いに気を遣わず
 に済んだのよね。距離感というかなんと言うか。だから、シェアを玉置君にも
 紹介してみようと思って」

「当時の俺ら、めっさ気遣ってたんだけどなぁ」

「さっきからもう、うるさい」
 神田朱美が右手を振り上げる。

「おいおい朱美、運転してる人に手なんてあげるなよ? 事故っても
 知らねえぞ? てか、後ろ見えねぇからとっとと戻れ」
 勝ち誇った笑みの鏡ちゃんだった。

「降りたら、覚えておきなさいよ?」
 神田朱美は、ゆっくりと右手を下ろした。

「宗輔君だっけ。学校のこいつがどんなんか知らないけど、本性はこんなん
 だから気をつけてね」

「はあ」
 どう答えていいかわからず、玉置宗輔は苦笑で応じた。

「宗輔君は、シェアハウスって興味ある?」
 沈黙が場を支配しそうな頃、鏡ちゃんが話を振ってきた。

「……オジさんオバさんに迷惑かけたくないってのはあるのかな」
 考えていたら、言葉にしていたらしい。

「ま、良くわからないよね。実際に見てみないとさ。こう言うことは周りが
 どうこう言うことじゃないだろうしさ。俺達、朱美以外のシェアメイトはあと
 一部屋が空いてて、どうにかして埋めたいって気持ちがあるから、
 宗輔君を招待するわけよ」

「前に、外人が少しの間いたことがあってさ。あんときは酷かったね。
 言葉の壁どうこうもあるけど、ほんと、自分本位な性格しててさ。
 皆さん、それがトラウマで、嫌だってわけ」

「あー。あったねそんなこと」
 神田朱美にも思い当たる節があるらしい。

「とにかく今日はパーティだ。宗輔君はゲストだから、
 楽しんでくれればいいよん」

「なんか、すみません」

「いや、誘ったのはこっちだし、すでにお菓子とか買い込んであるからね。
 断られた方が辛かったかもしんない。あぁ、思い出しちまった。
 くそう、あの女め」

 鏡ちゃんのぼやきは、神田朱美が助手席の窓を開ける音で掻き消された。

「見えてきたよ。あれよ、玉置君」
 助手席から身を乗り出して、神田朱美が進行方向左の家を指差した。

 見ただけでは、普通の家に見える。

「これが、シェアハウス」

 車が、その家の前で停車した。

「シェアとは言っても、料金とか以外は、普通の家と変わらないよ」

「部屋の電気代とかが個別に請求が来るってだけで、共同スペースは
 皆で負担だし」

「そうなんですか」

「うん。ま、宗輔君。俺は車停めてから行くから、先に中に入って
 くつろいでてよ」

「ほら、行きましょう。玉置君」

 先に車を降りた神田朱美が、後部座席の扉を開けてくれた。
 玉置宗輔は降りて扉を閉めると、神田朱美の後に続いた。

 門を開けて、玄関前で立ち止まる。

「今、鍵を出すから」
 神田朱美が、鞄の中に腕を入れたときだった。

 がちゃ。
 内側から鍵の開くような音がした。

「あ、凛ちゃん帰ってきてるのかな」
 その音を聞いた神田朱美が、ぽつりと呟く。

「凛ちゃん?」
 ――誰だろう。

「鈴谷凛っていう名前の大学生で、えっと」
 神田朱美がどう紹介しようか迷ったところで、ゆっくりと玄関の扉が
開かれた。

「おかえり朱美、あ、こっちが例の?」
 サンダルで、玄関から一歩踏み出した鈴谷凛(すずや・りん)。

 薄めの茶髪にウェーブのかかった髪が、ふわりと揺れる。

 鈴谷凛は、上目遣いで玉置宗輔を見上げた。
 ほのかにいい香りがした。

 ついでに言うなら、鈴谷凛が大きく胸元の開いたシャツを着ていたもので、
玉置宗輔の視線は、思わずそちらに吸い込まれそうになった。

 玉置宗輔は慌てて視線を反らす。

 視線を反らしたら反らしたで、鈴谷凛の裾の短いデニムのショートパンツと
白くて細い太ももがちらりと見えて、玉置宗輔の顔はまた赤くなった。

 下は、ダメだ。
 玉置宗輔は、慌てて空を仰ぎ見た。

「へぇ、結構、可愛い顔してんじゃん」
 そんな玉置宗輔に向けて、鈴谷凛が微笑んだ。

 それは、息がかかりそうなほどの至近距離だった。

「凛さん、近い近い!」
 神田朱美がそう言いながら、間に入って二人を引き離す。

「あぁ、もう」
 鈴谷凛が、残念そうにぼやく。

「なにが、あぁもう、なんだ?」
 気がつけば、後ろに立っていた鏡ちゃん。

「もう少しで、凛ちゃんお得意のラブ・マジックがかかりそうだったのに」
 鏡ちゃんは一歩前に踏み出して、鈴谷凛にチョップを見舞った。

「痛い~っ」
 鈴谷凛は大袈裟に、両手で頭を押さえてうずくまる。

「鏡ちゃん、ヒドい。暴力反対」

「年下好きだからって、高校生からかうなよ」
 鏡ちゃんが呆れ顔で言った。

「なに? 鏡ちゃん、もしかしてヤキモチ?」

「ナイナイ」
 鏡ちゃんは、アクビしながら言葉を返した。

 そして靴を脱いで、先に玄関へと上がる。

「宗輔君いらっしゃい。ま、こんなかんじで騒がしいけど、
 ゆっくりしていってよ」

「はい」

 それから四人で一階のリビングへと向かった。
 リビングには小さめの薄型液晶テレビと脚が短いテーブル。
 それに、それを囲うようにソファが並んでいた。

「なんですか、これ?」
 玉置宗輔が訊ねた。

 正確にはなにかは、見ればわかる。

 テーブルの上は、物で溢れていた。
 中身は全て、ビニール袋に入ったお菓子のようだった。
 テーブルの上を埋め尽くさんばかり、山を築かんばかりのお菓子だった。
 玉置宗輔の問いに答えたのは、鏡ちゃんだった。

 横目でちらりと見てみたら、神田朱美も自分と同じように、
驚きを隠せないようだった。

「今日のお昼頃かな。そこの女がまた、大学まで車で送ってくれ
 って言い出してな。昨日、朱美から宗輔君のことをちょっと相談されて、
 一回遊びにきて貰えばいいじゃん。みたいな話にはなってたんだけどさ」

「まぁそれもあって、もし来ることになったときの為に、大学の行きがけに
 お菓子を買っておこうっていう話になったんだ」

 それが全ての始まりだったとばかりに、鏡ちゃんは力なく笑った。
 鏡ちゃんが言う「そこの女」とは、鈴谷凛のことらしい。

 鏡ちゃんのテンションは、明らかにさっきより下がっている。
 そして、その理由に自分が絡んでいると聞いてしまった玉置宗輔も、
複雑な心境になっていた。

「はぁ」
 肯定するでもなく否定するでもなく、玉置宗輔は曖昧な返事で逃れた。

「この女に任せたらこのザマでな。支払い俺持ちで、出費としては三万を
 超えたかな。コンビニにあれだけ貢ぐ女、初めて見たよ」

 鏡ちゃんは遠い目をしながら、言い加えた。

「ま、この女に財布渡して、駐車場の車の中で待ってた俺が、馬鹿だったのさ」
 玉置宗輔はもう一度テーブルの上を眺めた。

 三万円ほどコンビニで買い物すると、お菓子はこんなに溢れるらしい。

「なによ鏡ちゃん。凛ちゃん言われた通りに、ちゃんとUポイントカード
 出してポイント貯めてあげたじゃん」

「おう、すごい溜まってたな。失ったもんもでかいけど」

「まあまぁ。鏡ちゃんも凛ちゃんも、玉置君の前だよ」
 神田朱美が間に入って、主に鏡ちゃんをなだめにかかる。

「せっかくこれだけお菓子があるんだから、盛り上がって行こうよ」
 神田朱美の言葉を聞いて、鏡ちゃんは大きく溜め息を吐いた。

「そうだな。ちょっとKYだったわ」
 どうやら、それで切り替えたらしい。

「よっしゃ朱美、冷蔵庫に色々とペットボトルが入ってる。
 テキトーに持ってこい! はい、宗輔君は此処! 座った座った」

 鏡ちゃんの仕切りで、宴会が始まった。

 紙コップを回して飲み物を注ぐ。
 玉置宗輔はオレンジジュース。
 鏡ちゃんは炭酸飲料。
 鈴谷凛は、缶チューハイをそのまま手にしていた。

「あれ? お酒飲むの私だけ?」
 鈴谷凛は、鏡ちゃんと玉置宗輔を交互に見渡した。

「僕は未成年なので」

「そんなの気にしなくていいよ。一口飲んでみ?」
 鈴谷凛が、手にしていた缶を差し出してくる。

 玉置宗輔が受け取ろうとしないもので、目の前のテーブルの上に
ことりと置いた。

「宗輔君は、酒飲んだことないの?」
 鏡ちゃんが訊いてくる。

「そうですね。うちは、両親が酒飲めなかったもので」
 そう言えば、オジさんはお酒好きだったな。

「じゃあ、弱いかもしれないなぁ。お酒に関して言えば、遺伝とかは
 結構あると思うよ」
 鏡ちゃんが笑う。

「じゃあ、凛ちゃんが酔わせちゃおうかなぁ」
 鈴谷凛が悪戯な笑みを見せる。

「明日学校休みなんだし、最悪、ここに泊まって行けばいいから、
 その辺は宗輔君の好きにすればいいよ」

「宗輔君が帰るって言うなら、俺は学校まで送らないといけないから、
 俺はアルコールはやめておくしね」

 鏡ちゃんは、言いながらポテトチップスの袋を開けた。

「泊まるのはちょっと悪い気が」

「ああ、気にしなさんな。誘ったのこっちだし」

「なんなら、凛ちゃんの部屋に泊まってく?」

「えぇっ?」
「あはは、冗談。まぁ、本気にしてくれてもいいけどね。
 凛ちゃん宗ちゃんのこと気に入っちゃったしねえ」

「宗ちゃん?」

「宗輔だから宗ちゃん」
 ――いや、さすがにそれはわかるけど。

「それより、なんだ? 宗ちゃんは凛ちゃんのお酒が飲めないってか?」
 鈴谷凛は、すでに頬を赤く染めていた。

 そして、玉置宗輔は絡まれる宿命らしい。

「えっと、その」
 鈴谷凛は玉置宗輔の口元まで、強引に缶チューハイを持っていく。

 そして、
「宗ちゃんが泊まるって言えば、鏡ちゃんもお酒飲めるんだから
 そう言っとけばいいの。それとも、この家は居心地悪いのかな?」

 玉置宗輔の耳元で、鈴谷凛が囁いた。

「別に、そういうのはないですけど」
 玉置宗輔も、つられて小声で応じた。

「鏡ちゃん。宗ちゃん、今日うちに泊まりたいって」
 鈴谷凛が笑う。

「おう、そうしていけ」
 鏡ちゃんにそう言われて、玉置宗輔は「宜しくお願いします」と、
答えていた。

「これは、なにがあったの?」
 神田朱美が、立ちつくしたままポツリと言った。

「なにもこれも、宴会を始めてただけだぜ」
 鏡ちゃんの頬も赤い。

 缶ビールを手にしていることから、玉置宗輔が今日は泊まっていくことに
なるであろうことは予想できた。

 神田朱美が、セーラー服から私服に着替えて戻ってきたら、ただそれだけ
の間に、かなりの量のお菓子がなくなっていた。

 まるで、嵐で過ぎ去ったかのような。
 いや、別の意味での台風が近づいたような。

「鏡ちゃん、なんで凛ちゃん止めてくれないのよ?」
 見ると玉置宗輔は、鈴谷凛にいいように玩具にされていた。

「んー。高校生ったら思春期だろ? 俺には本気で嫌がってるようには
 見えないけどな。まあ、困ってはいるんだろうけど」
 絶対に面白がって放置していたに違いない。
 神田朱美はそう思った。

「凛ちゃん、悪ノリしすぎ!」
 神田朱美は、紙コップに自分の分のオレンジジュースを注いで、玉置宗輔
と鈴谷凛の間に割って入った。

「なんだ朱美やっときたの。へえ、いつもはダサいスウェットなのに、
 今日はちょいと、おめかし気合い入ってんじゃん。
 普段着でいいのに、なんでかなー?」

 鈴谷凛が、神田朱美の服装を眺めて、意地悪く笑う。

「ちょっと、凛ちゃん!」

「宗ちゃん、朱美の私服姿どう? 良く見てあげて」
 そんなこと言われると、色々と変に意識してしまう。

 紫色の首元の開いたロングシャツ。
 首には白と黒のラインの入ったストールが巻かれていた。
 下は、黒の膝上のペチスカート。フリフリの黒いスカート
の下から、白いフリルが見えていた。
 靴下は、ストールと同じ柄のハイソックスだった。
 

「良く似合ってると、思う ……思います」
 マジマジ見てしまいそうになりながら、玉置宗輔は咄嗟に視線
を外した。

 大して女性のオシャレに詳しくない僕に、他に、どう言えと
いうのだろうか。

「あ、ありがとう」
 神田朱美は、視線を反らしてそう言って、宴会に参戦した。


● ● ● ●


 それから数時間が過ぎた頃。

「なんだ? 鏡から宴会やってるってメールきてて、気合い入れて
 お気に入りの日本酒の一升瓶まで買ってきてみたのに」

 スーツ姿の通称「クロやん」が家に帰ってみると、重苦しい空気が流れていた。
 これは宴会のお開きムードではなく、地雷かなにかを踏んでしまったような
空気だと、クロやんは直感で察した。

 とりあえずクロやんは、スーツ姿のまま、ゲストの真向かいに腰を下した。

「俺は営業サラリーマンしてる――黒田(くろだ)つうもんだ。
 ここではクロやんって呼ばれてるから、そう呼んでくれればいいや。
 とにかく、よろしくな」

 クロやんは、テーブルの上に腕を伸ばして、玉置宗輔に握手を求めた。

「どうも、玉置宗輔です。あけ、いや、神田さんのクラスメイトです」

「おう、聞いてるよ」
 クロやんは腕も指も太かった。
 体育会系を思わせる人だと思った。

「すまん。やっぱ、ちょっと着替えてこようかな。鏡ちょっとこい」
「ん?」

「なんでこんな暗い宴会になってるのか説明しろって言ってんだよ」

 クロやんは立ち上がって、鏡ちゃんの耳元で囁いているつもりなのだろうが、
元の声が大きいもので丸聞こえだった。

「なるほどな」
 クロやんは自室、一階奥の部屋でネクタイを緩めながら頷いた。
 鏡ちゃんから話を聞いたことで、事情はあらかた飲み込めた。

 鈴谷凛がふと疑問に思って、玉置宗輔に訊いてしまったらしい。
 それが、地雷的な質問だったと、つまりそう言うことか。

「凛は実は俺らより頭いいし、今も早稲■に通ってるけど、たまにポロリと、
 思ったことをそのまま口にしちゃうからな。なんつーか、自分の欲望に
 素直って言うか、自分と他人を天秤にかけると、つい、自分を優先しちまう
 ところがあるって言うか。ま、酔っててポロリってのもあるかもしれんがなぁ」

 クロやんの言葉に、鏡ちゃんは小さく頷いた。

 高校生は、難しい年頃だとクロやんは思う。
 昔は「やんちゃ」だった自分だから、なおさらそう思うのかもしれない。

「それで、彼はなんて? 訊いちゃったんだろ?」
 ワイシャツのボタンを一つずつ外しながら、クロやんが訊く。
 鏡ちゃんが答えないもので、クロやんはさらに直接的な表現で言葉を
続けた。

「加害者がいるか、否か」

 鈴谷凛が気にしたのは、玉置宗輔が家族を失った事故が、実際にどれほど
の規模のものだったかということだ。

 玉置宗輔が嫌がる素振りも見せなかったもので、鏡ちゃんと神田朱美は
アイコンタクトでやり取りをして「人に話すことで楽になることもあるだろう」と、
少し様子を見ることにした。

 そうしたら、次の一言で、見事に鈴谷凛がぶち壊してしまった。

「そうなんだ。凛ちゃんはもっとこう、大型車に巻き込まれたとか、加害者が
 いるような事故かと思ってた。加害者とかはいないのよね?」

 鈴谷凛の質問に、玉置宗輔は答えられなかった。
 家族を一度に失ったショックから、事故の詳細については、まだ無意識に
避けていたのかもしれない。

 鏡ちゃんは、少し言いづらそうに口よどんでから、

「どうやら、宗輔君はなにも知らないらしい。家族を失ってからは、オジさん
 オバさんがほとんどやってくれて、葬式とかの手配もしてくれたって言ってたぜ」

「つまり、今の彼は、もしかしたらオジさんオバさんに事実を隠蔽されているかも
 しれないと思っているわけだ。ただの交通事故としか、聞かされてなかった
 んだろ?」

「そう考えると、結構ディープな話だぜ? どうしたもんかねえ」

 ちょうどいいときに帰ってきてくれたと、鏡ちゃんは笑う。

「とりあえず鏡、お前は宅配ピザを取れ」
 クロやんは、紺色のジーンズパンツを履きながら言った。

「ピザ?」

「俺が腹減ってるってだけだ。他のヤツの分も合わせて、
 テキトーに二、三個頼んじゃえ。金は俺が持つ。その間に俺は、
 彼と少し話してくるかねぇ」

 クロやんがシャツの上から黒いパーカーを羽織った。

「わかった」

「鏡?」
 この家では、宅配ピザは頻繁に利用していた。
 この場で電話してしまおうとケータイを取り出した鏡ちゃんは、クロやんに
呼びかけられて手を止める。

「あ?」
 クロやんの声に、投げやりに応じる鏡ちゃん。

「俺がしくじったら、一緒に土下座してくれるか?」

「やなこった。つか、誰相手に土下座すんだよ」
 鏡ちゃんはフッと笑って、そう返した。

「だと思ったわ。俺でも断るしな」
 クロやんも笑いながら、リビングに戻って行った。

 このシェアには、ルールがいくつかある。
 皆が平等に、楽しく過ごす為の規則がある。

 真実がどうであろうと、な。

 この家の敷地内にいる限り、そいつは俺達の「家族」だ。

 真実を知ることが、必ずしもいいとは限らないだろう。
 だけど、当の本人が知りたがっているなら、不幸になるかもしれないとわかって
いても知りたいのなら、それはきっと知るべきだ。

 俺達おっさんは、こう言うときの為にいるのだから。

「ただいま」
 クロやんが腰を下しても、先ほどと同じような空気が流れていた。

「宗輔君で良かったっけ?」

「あ、はい」

「宗輔君は日本酒好きか?」

「え?」
 どうやら、飲んだことがないらしい。

「俺は好きなんだけどさ。もし良かったら、おちょこ持ってきたから舐めてみない?
 これ、俺が好きな地酒でさ」

 クロやんがおちょこを差し出すが、玉置宗輔は受け取ろうとしない。

「飲まないの? じゃあ、代わりに凛ちゃんが」

「お前は黙ってろ! つか、少しは反省しろ!」
 クロやんに怒鳴られて、鈴谷凛はそそくさと神田朱美の後ろへと逃げて行った。

「話はさ、鏡のヤツから聞いたよ。嫌な気分にさせちゃってごめんな」

「いえ、そんな」
 玉置宗輔は、苦笑していた。
 本当に辛いヤツは笑うしかないと、いつかどこかで、本で読んだような気が
する。

「一つだけ、訊かせて貰っていいか?」
 クロやんは、自分の分のおちょこに酒を注いで、酒瓶に栓をする。

「はい、なんでしょう?」

「真実、知りたいか?」

「……ええ、まあ」
「そりゃ、知りたいって気持ちはあるんだろうけどさ。必ずしも、聞くことがいい
 とは限らないってのがこの世の中だ。それでも、知りたい?」

 しばしの間、玉置宗輔は考えて、そして答えた。

「やっぱり、知りたいです。でも直球で訊いて、答えて貰えるんでしょうか。
 それに、オジさんオバさんには世話になってるから……」

「決まりだな」
 クロやんが、おちょこの一つを玉置宗輔の前に置いた。

「俺の盃(さかずき)を受け取れ、宗輔」

「盃?」

「俺は飲んべえだからな。酒飲みはこうやって盃を交わすことで、
 絆を深めるんだ。朱美も入ってきた頃のとき、こうやって、一口だけ
 飲んだんだぜ?」

「俺は、盃が交せねえやつとは仲良くなれねえ。だが、もし宗輔が
 この盃を受け取るなら、俺はお前が困ってるときに力を貸してやる。
 たとえば、さっきのこととかな」

 クロやんは、ぐいっと自分のおちょこを空にした。

「まあ、飲め」
 クロやんが、酒瓶を傾けてくる。

 玉置宗輔は、おちょこでそれを迎えた。

「俺がお前くらいのときは、親父の秘蔵の酒瓶を良く荒らしたもんだ」
 クロやんが懐かしそうに笑った。


「お、飲みやすい」
 玉置宗輔は、思わずそう呟いていた。

「お、わかるか? 通だね」
 クロやんが、さらに勧めてくる。

 ピザが来るまでの間に、空気は少し持ち直した。


● ● ● ●


「宗輔、じゃあ俺がちょっと、電話してくるわ」
 クロやんが、オジさんの家の電話番号を控えたメモを持って、笑った。

「お願いします」
 本当なら、自分で確かめなけばならないのことだ。
 それができない自分の弱さに、憎悪すら覚えていた。

 僕は結局、なにも変われていない。
 周りに誰もいなければ、僕はまた泣いていたかもしれない。

「クロやんはね、ああ見えて結構、凄腕の営業マンらしいよ」

 クロやんだけが移動した中で、神田朱美が、
隣からひそひそと言ってきた。

「だから、上手く行きそうな気がする」
 なにを持って、上手く行ったと言うのか。
 それは良くわからないけど、でも、少し安心した。

 この家には、固定電話機がない。
 それぞれが、ケータイ電話を持っている。

 ときおり聞こえてくるクロやんの声。
 どうやら通じたようだが、話の内容まではわからない。

「凛が大人しいなんて珍しいな」
 今度は鏡ちゃんが、ひそひそと、神田朱美に言ってきた。

「さっき、クロやんに怒鳴られたから」

「そういや、そんなこともあったな」
 言われて、鏡ちゃんも思い出し、納得したらしい。


 そんなとき、聞こえてくる大声、

「終わったぁっ!」

 明らかにこちらに宣言する為のクロやんの声に、
 玉置宗輔、神田朱美、鏡ちゃんの三人は、は思わず視線を合わせて
苦笑した。


● ● ● ●


「では、さっそく始めたいと思う」
 クロやんの真顔の切り出しに、玉置宗輔と鏡ちゃんは息を飲んだ。

 クロやんの部屋に移動したのは、クロやん、鏡ちゃん、玉置宗輔の三人だった。
 神田朱美には、鈴谷凛の様子を見て貰っている。必要とあらば慰めてやって
くれと頼んだのは、クロやんだった。

「まず最初に言っとこう。オジさんは今度宗輔に会ったら、
 きちんと面と向かって、直接謝罪したいと言っていたぞ」

 ――謝罪……?

 どうやら、クロやんはまどろっこしいのが苦手らしい。
 大きく息を吸って、一息で吐いたクロやん。

「単刀直入に言うなら、加害者はいる。
 もちろんそれは、宗輔の遺族ではない」

「どうやら、宗輔には伏せていたみたいだけど、
 その人らは、ご家族の葬儀にも顔を見せているらしい」

 ――そんな。

「まぁ、断ったって言ってたけど、多分お焼香とかの話だろうな。
 詳しくは俺も訊けてない」

「これはオジさんの言い分だが、宗輔がもう少し大人になるまで、
 その加害者の名前も顔も、教えるつもりはないらしい」

「なんで、ですか!?」

「とりあえず宗輔君、クールになれよ。
 話には続きがある。そうだろ? クロやん」

 鏡ちゃんが、横から玉置宗輔の肩を抱いた。
 抱いたと言うよりは、押さえ込まれたに近かったのかもしれない。

 それで少し、冷静になれた気がする。

「理由は、話してくれましたか?」

「ああ、きちんと話してくれたよ。俺が話してみた印象だと、
 良くできた人みたいだな。普通なら、見ず知らずの人が電話をかけて
 きても、ここまで打ち明けたり、話してくれることはないだろうさ」

 そんなとき、玉置宗輔のケータイが鳴った。

「おっと、来たみたいだな」
 クロやんが「待ってました」とばかりに笑う。

「どうゆーこと?」
 鏡ちゃんが訊いて、玉置宗輔と一緒に画面を覗き込んだ。

「俺が、口でちゃんと説明できる気がしなかったもんでな。
 宗輔のケータイにメールして貰うことにしたんだよ」

「おい、鏡、お前は見るな。プライバシーくらい尊重したれ」
 クロやんが鏡ちゃんを引っぺがした。

 オジさんは、メールが苦手なはずだった。
 それにしては随分、長文メールだった。


     

 宗輔へ。 

 今回は、このような形となり、本当に申し訳なく思っている。 

 謝罪については、次回直接会ったときにでも、私の話を最後まで、
 聞いてくれることを願っている。

 黒田さんにも伝えた通り、今回の交通事故には加害者がいる。

 玉置家の三人は、いや宗輔を含めた四人は、完全なる被害者だ。
 私はただ、宗輔には恨みや憎しみを抱いて欲しくないと思った。
 私が抱いたのと同じ感情を、残された宗輔に抱かせてはいけないと思った。

 加害者の顔を知れば、名前を知れば、必然的に深い憎しみとして、
 宗輔の胸の内、深く深くに刻まれてしまうだろう。

 そんなのは、私達だけで充分だ。 私は勝手ながらそう思い、今回のことを
 決断した。

 そう言うのは、残りの人生が短い私達大人が背負えばいい。

 宗輔には未来がある。 私達は、宗輔に幸せになって欲しいと思っている。
 先に天国に行ってしまった宗輔の家族も、きっとそう願っていると思う。

 宗輔へ。

 今回の件は、私がほぼ一人で決めたことだ。
 どうか、妻のことは許してやって欲しい。

 最後になるが、 もっと頼ったり、甘えてくれていいんだよ。

 それで救われる私達がいることも、どうか忘れないで欲しい。

 急いで大人になる必要なんてない。少なくとも私は、そう思っている。
 そして、どうかこれからも、少しずつでいいから宗輔の未来に
 関わらせて欲しい。

 玉置宗輔、お前のオジより。


  ― END ―



 声にならない感情が、音を立てていた。

 滲んだ視界の中で玉置宗輔はそれが、
 自分の歯と歯が当たっている音だと知った。

 此処がどこであるかも忘れて、
 隣に誰がいるかも忘れて、

 自分が誰であるかも一瞬で頭から吹き飛んで、
 泣いていた。


「宗輔君、先に出てるわ」
 鏡ちゃんがそう言って、玉置宗輔の肩をぽんと叩いた。

「そうするか。俺の部屋、気が済むまで使ってくれてかまわんぞ」

「いいから、好きなだけ使え」
 涙を拭って部屋を出ようとする玉置宗輔を、クロやんが引き止めた。
 クロやんが強引に玉置宗輔にティッシュ箱を手渡して、ゆっくりと
扉を閉めた。

 扉が閉まったのを知った玉置宗輔は、その場にへたり込んだ。


「なに、どうなってるの? 玉置君は?」

 神田朱美は、部屋の外で待っていた。
 潜ませた声で、二人に訊ねるが、

「今は、そっとしておいてやれ」
 クロやんは、仏頂面だった。

「たく、ディープなもん背負いやがって」
 鏡ちゃんは、少し悔しそうに呟いただけだった。

 この二人とは付き合いが長い神田朱美は、表情から玉置宗輔の状況を
察することができた。

 どうやら、後は、玉置宗輔が自分で乗り越えるしかないらしい。

 神田朱美は考えた。
 私は力になれたのだろうか、と。
 これから、力になれるのだろうか、と。

 玉置君……。
 一人部屋の前に残った神田朱美は、そっと、クロやんの部屋のドアノブから
手を離した。

 そう、そうよね。それしかないよね。
 もう少し玉置君が落ち着いたら、部屋から出てきたなら、今度は私が
当時「クロやん」と「鏡ちゃん」にされて嬉しかったことを、玉置君にして
あげようと思った。

 そう言う気持ちは廻りまわって、きっと誰かの心を
今より少しだけ明るく照らすものだと、神田朱美は信じていた。

「頑張れ、玉置君」

 絶対に聞こえるはずのない、小さな声で、
 神田朱美は、呟いた。

 なにもできないならば、せめて傍で。
 此処で、彼が出てくるのをいつまでも待っていよう。


● ● ● ●


 玉置宗輔は、まだクロやんの部屋にいた。

 カチ、カチという、時計の秒針の音が耳についていた。
 普段は気にしないほど小さな音も、一度気になりだすと気になって仕方がない。

 見上げた壁にかけられた丸時計は、玉置宗輔が思うよりずっと先に進んで
いた。

 もうすぐ日付が変わろうとしていた。

 情けないと思ったし、どこかで自分らしいと思った。
 涙が止まった理由は、箱ティッシュの中身が尽きたからだ。
 玉置宗輔は、手にしていたティッシュの塊をゴミ箱へと落とした。

 ゴミ箱の形や部屋の内装から、此処がクロやんの部屋だと
いうことを思い出した。

 ずっと、此処にいるわけにはいかない。
 招いた客人がこんなことになったら、自分ならどうするだろうか。

 困ることは間違いない。
 色々考えて、気を遣うことだろう。
 改めてきちんと謝って、お礼を言おう。
 玉置宗輔はそう思った。

「よし」
 頬を軽く叩いて気合いを入れてみる。

 見渡したが、クロヤンの部屋には鏡がなかった。
 今、どんな顔をしているのだろう。
 もしかしたら、顔は洗った方がいいかもしれない。

 ドアノブに手をかけて、中からこっそりと外を窺ってみた。

 声は聞こえてこない。静かなものだ。
 部屋を出てドアを閉めたとき、玉置宗輔は固まった。
 すぐ横の壁にもたれて、神田朱美が瞼を閉じていた。

「朱美さん?」
 軽く揺すって起こそうかとも思ったが、おそらく待ってくれて
いたのだろう彼女に、どんな言葉をかければいいのかで迷ってしまう。

 もう、大丈夫だから。
 ありがとう。
 ごめん。
 思いつくのは、薄っぺらく、取り繕った言葉ばかりだ。
 起こして、そんな言葉をかけることに躊躇ってしまう。
 まだ、乗り越えられていないことを示してしまう言葉を紡ぐ
ことに、激しい抵抗感が沸いてきた。

「ごめんね、朱美さん」

 玉置宗輔は、起こさないことにした。
 代わりに、詰め襟制服の上着を脱いで、そっと神田朱美を起こさない
ようにかけてあげた。

 上着を脱ぐと、さすがに少し肌寒い。

「あー、宗ちゃんが、朱美にチューしようとしてる」

「してません! ――って、あっ」
 後ろからの声に、思わず大声で反論してしまう玉置宗輔。

 咄嗟に見ると、やはり神田朱美が声に反応していた。
 微かに唇を動かしてうめいたり、瞼を動かしたりしている。

 ――なんとか、セーフ……か?
 玉置宗輔は、心臓が破裂する思いだった。

「ちょっと、やめてくださいって、凛さん」
 神田朱美が落ち着いてから、ひそひそと告げる玉置宗輔。

「なんだしないの? キス」
 鈴谷凛が、神田朱美の唇を指差しながら言う。

「し・ま・せん」
 玉置宗輔は、両腕をクロスさせて否定する。

「朱美は宗ちゃんを待ってたんだから、それはもうOKってことだと思うけどな」

「そう言うもんなんですか? 女性って」
 真顔で言う鈴谷凛の言葉に、玉置宗輔は興味本位で訊き返していた。

「ま、個人差やら価値観があるからその辺はなんとも。――って、やっぱりしたいん
 じゃん宗ちゃん。男の子だねぇ」

「違います。世間一般の女性の価値観を参考までに聞いてみただけです」

「そういや、鏡ちゃんもクロやんも、もう酔いつぶれて寝てるよ」

「あ、そうなんですか」
 しまった。
 大事なことを忘れていた。
 謝るタイミングを逃したか。

「だから宗ちゃんは、私の部屋においで」

「だから――の、意味がわからないんですけど」
 この人は色んな意味で苦手だ。
 玉置宗輔がそう思い始めたのはいつからか。
 すっかり苦手意識を持っていた。

「宗ちゃん、そのまま寝たら風邪引くよ。
 毛布貸してあげるから、黙ってついてきな。
 朱美もクロやんも鏡ちゃんも、毛布くらいかけた方がいいだろうし、
 ちょっと手を貸して頂戴」

「あ、そう言うことなら手伝いますけど」
 泊めて頂く身としては、それくらいして当然なのだろうけど、
それよりたまに、鈴谷凛という人がわからなくなる。
 

「それに、ガチな話もあるしね」
 ポツリと言った鈴谷凛の言葉は、玉置宗輔の耳には届かなかったらしい。

 横目でちらりと鈴谷凛が見ると、玉置宗輔はなにやら思案中のようだった。

 それぞれの部屋から毛布を引っ張り出して、それぞれに気づかれないように
毛布をかける。

 鈴谷凛は、朱美を担当し、玉置宗輔は鏡ちゃんとクロやんを担当した。
 それが終わった後、玉置宗輔は鈴谷凛の部屋を訪れた。

 鈴谷凛の部屋は、二階に上って二つ目の部屋と聞いていた。


「凛さん、ここでいいんですか?」
 ノックすると、「どうぞー」という声が聞こえた。
 玉置宗輔はおそるおそるドアノブを掴む。

「テキトーに座って」
 丸い脚の短いテーブルの向こう側に、鈴谷凛は座っていた。

 鈴谷凛の部屋の中は、玉置宗輔の予想に反して、あっさり
としていた。

 化粧品の類を除いては、必要以上の物がほとんど部屋。
 物がない為か、余計に綺麗に整頓されているように見える。

「じろじろ見ちゃって、イやんってかんじ? まぁ。ご感想は?」
 鈴谷凛が微笑みながら訊いてくる。

「えっと」
 どう答えるべきなのだろう。

「もっとギャルっぽくて、散らかってると思った?」
 鈴谷凛から、図星を突いてきた。

「いや、その……」
 思ってしまったけど、此処で肯定してしまっていいのだろうか。

「やっぱそうか。ま、気にしてないから大丈夫よ。
 いいから座って。こっちが落ち着かないからさ」
 鈴谷凛は本当に気にしていないようで、テーブルを挟んだ
向かい側をアゴで示した。

「あ、はい」
 言われるままに、玉置宗輔は腰を下す。

「宗ちゃんに言ってもわからないだろうけどね。
 オシャレとかって、結局、自分に合うかどうかなんだよね。
 上を求めたら、それこそ化粧品とかでもバカみたいに高いし」

 鈴谷凛が、テーブルの端に置かれていた化粧品の一つを手に
取って、指で小突きながら言う。

「ぶっちゃけ、大学生の収入だとこれが限度だよ。
 ある程度、他のことを我慢して回してかないと、好きなこともできない」

 鈴谷凛が、大きな溜め息を吐いた。

「そう言うもん――ですか?」

「ま、男に買わせるって手はないわけではないけど、大抵の男が、
 恩着せがましくなるからね。自分で勝手に買っといて、それを受け取ったら
 自分の女扱いだとか、どんだけバカなんだろうねぇ。
 宗ちゃんは、そんな人になったらダメよ?」

「僕は、そういう人には、なりたくてもなれないと思いますよ」
 玉置宗輔は、少し憧れていた。
 元々男らしい男性には憧れていたけど、アレがあってから、
そんな想いは強くなっていた。
 バカでもいい。家族を皆失っても、自分らしく生きられるなら、
その方が今の自分よりは、ずっとマシだと思うから。

「ほんとは、こんな話をする為に呼んだわけじゃないんだけどね。
 脱線しまくりだね。反省反省」
 鈴谷凛が、仕切り直しとばかりに手を叩いた。

「え、そうなんですか?」

「私の話を聞いてくれる? 宗ちゃん」
「いいですけど」

「なら、行くよ?」
「は、はい」
 妙な緊張感が、室内を支配した。

 そして、
「ほんとごめんなさい」
 鈴谷凛が頭を下げた。

 いつの間にか、鈴谷凛は正座をしていた。

 その状態から頭を下げて、額はテーブルスレスレ。
 薄い茶色の前髪や横髪は、すでにテーブルについている。

「別にクロやんに叱られたからどうの―じゃなくて、
 酔いもちょっとさめて思い出して、反省したのよ。さすがの私も」

「そのことですか」
 玉置宗輔としては、なんのことかと思っていた。
 てっきり、オジさんからのメールの件の詳細なんかを訊かれるの
ではないかと思ってたくらいだ。

「すみませんでした」
 こちらをちらりと見た鈴谷凛は、再び頭を下げた。
「えっと、その、頭を上げて下さい。凛さん」
「宗ちゃんが許すと言ってくれるまで、私はこのまま微動だにしません」
 それはそれで、いつまでもつか、ちょっと見てみたい気がする。
 ――じゃなくて!

「結果的には、凛さんの言葉をきっかけにして、本当のことがわかった
 わけですし、後々知るよりは、きっとショックも少なかったと思い
 ますし、俺としては良かったと思っています。
 だから、顔を上げて下さい。凛さん」

 強がれたのは、一人称を「俺」に変えられたくらいか。
 玉置宗輔はそんな自分が嫌だった。
 気持ちとしては嘘ではない。
 だけど、乗り越えられているわけではない。

「じゃあ、許すって言って?」
 鈴谷凛の表情は、前髪で見えない。

「許します」
 言葉にされないと、不安なのだろうか。
「許しマクリスティ?」
「なんですか、それ」
「いや、深い意味は……。あ、そうだ。毛布だったよね」
 鈴谷凛は顔を上げて微笑んだ。

 収納スペースから、鈴谷凛が、毛布とかけ布団をいくつか
見繕ってくれた。

「これだけあれば、大丈夫でしょ」
 鈴谷凛が、得意げに笑う。

「はい、ありがとうございます」
 これなら、よく眠れそうだ。

「あ、下まで運ぶの手伝おうか?」
 今まさに、持ち上げようとしている玉置宗輔に鈴谷凛が声をかけた。

「あ、大丈夫ですよ。男の子ですから」
 さっき言われた言葉を、そのまま引用して、玉置宗輔は微笑んだ。

「じゃあ、ドアだけ開けてあげる」
 両手で抱えている玉置宗輔の横を通り抜けて、鈴谷凛がドアを開けた。

「ありがとうございます」
 玉置宗輔は、そのまま部屋を出ようとした。

 そんなときだった。
 玉置宗輔は、途端に動けなくなった。
 すぐ後ろには、鈴谷凛がいて。
 両腕を玉置宗輔の身体へと回して、身動きを封じていたから。

「ちょっと凛さん、やめて下さい」
 耳に息を吹きかけられて、こそばゆいやらなんやら。
「宗ちゃん。もし勉強とかで困ったことがあったら、私のとこにきな」
 玉置宗輔の言葉を無視して、鈴谷凛が言った。
「え?」
「下手な塾より私の方が頼りになるよ。お金もかからないしね。
 私はこう見えても、昔から、朱美の勉強みたりしてあげてるし」
 ――どう、返せばいいのだろうか。
 お礼を言って、流して立ち去ればいいのだろうか。

「宗ちゃん。ほんとは、辛いんでしょ?」
 飾り気のない鈴谷凛の言葉に、玉置宗輔は目尻の奥に熱いもの
をかんじた。
 それを紛らわすために、天井を見つめていた。

 そっと、鈴谷凛の手の平が、玉置宗輔の頭の上にやってきた。
 そして、玉置宗輔は頭を撫で回される。

「自分のことを信じられなくなったら、私のこと、凛ちゃんのことを信じな」

「凛さんを、ですか?」

「だって私は、信じてるもん。
 宗ちゃんが今回のこと乗り越えられるって。大丈夫だよ。
 あまり深く考えすぎなきゃ、乗り越えられるから。
 はい、おしまい。お休みなさい」

 鈴谷凛は、玉置宗輔の背中を優しく突き飛ばした。
 玉置宗輔が後ろを振り返ったときには、すでに鈴谷凛は部屋の中。
 鈴谷凛がどんな表情でいたかは、わからない。

 深く考えすぎなきゃ、乗り越えられる――か。
 なんでああも、自信に満ちた声で言いきれるのだろうか。

 そんなことを思いながら、玉置宗輔は一段ずつ階段を降りた。
 階段を降りたすぐ横には、クロやんと鏡ちゃんの部屋がある。

 どちらも明かりはついていない。

 リビングのソファから、鏡ちゃんが姿を消していた。
 鏡ちゃんの部屋から持ってきた毛布も消えていた。
 クロやんの部屋から持ってきてかけた毛布は残っていたが、
クロやんの姿はない。

 お礼は、朝になってからにしよう。

 玉置宗輔は、ソファの上に寝床を作って、眠ることにした。
 壁の電灯のスイッチまでが遠い。
 面倒だから、つけたままでいいか。
 もしかしたら、眠れないかもしれないし。

 そんなときに、声をかけられる。

「宗輔、お前もシャワーどうだ?」
 短い髪をタオルでごしごしやりながら、タンクトップと短パン姿の
クロやんが出てきた。

 どうやら、シャワーを浴びていたらしい。

 一瞬迷った玉置宗輔だったが、
「あ、いえ。今日はこのまま寝ちゃいます。お気持ちだけで。
 ありがとうございます」と、応じていた。

「おーけい。じゃあ、俺が電気消してやるから、さっさと横になれ」
 クロやんは、電灯のスイッチの前で玉置宗輔が毛布をかぶるのを待っていた。

「あの、今日は色々とありがとうございました」
「なに、気にすんなってことよ」
 クロやんが明かりを消した。
 部屋は途端に真っ暗になる。

 暗闇の中で、声だけが聞こえてきた。

「これは俺の自論なんだが、若い頃にした人と違う経験ってのはな。
 大人になってから、絶対に活きてくるもんなんだよ」

「今は辛いだろうが頑張りな。俺や鏡なんかより、絶対イカした大人に
 なれるぜ」
「……ありがとうございます」
「なに、酔っ払いの独り言だよ。宗輔、また飲もう。じゃあな」

 規則的に聞こえていた足音は、小さくなって、
 やがて聞こえなくなった。


● ● ● ●


 玉置宗輔がウトウトとしてきた頃、すぐ近くから
声が聞こえてきた。
 
「玉置君、寝てるよね?」
 その声が神田朱美のものだと察するのに、あまり時間はかからなかった。

「上着、ありがとうね。聞こえていないだろうけど、
 ハンガーで壁にかけておいたからね」

 ――起きる、べきなのだろうか。それともこのまま、寝たフリを続ける
べきなのだろうか。

「頑張れ、玉置宗輔」
 神田朱美の冷たい指が、玉置宗輔の頬をプニプニ小突いていた。

「ダメだなぁ。こんなことされても気づかないなんて」
 神田朱美の小さな笑い声が、暗闇の中で聞こえていた。

「私ね――。好きとか愛してるとかじゃないと思うんだけど、
 ちょっとだけ、玉置君のことが気になるんだ」

「だからね。これからも宜しくお願いしますね。
 私にできることがあったら、なんでも協力するからね」

 神田朱美が手を叩いた。

「とりあえず学校に通えるようになって貰って、
 遅れた分の勉強を取り戻さないとね。それなら、私でも
 少しは協力できるかな」

 神田朱美がいなくなってからも、
皆の言葉が、頭の中で繰り返し聞こえていた。
なんだろう。痛いのに、どこかで心地良い言葉だった。

 玉置宗輔は意識が薄れるまで、二つの拳をずっと握っていた。

 乗り越えなきゃいけない。ではなく、
 あれから初めて、乗り越えたいと思えた瞬間だったのかもしれない。


● ● ● ●


「いつでもメール、電話、してこいよ?
 俺らはまだ赤の他人だし、他人だから話やすいこともあるだろう?
 利用しちまえばいいんだよ。自分の周りにいるヤツなんてさ」

 玉置宗輔は、鏡ちゃんの名刺を見つめていた。
 ケータイの電話番号とメールアドレスが書かれた鏡ちゃんの名刺。
「ありがとうございます」
 玉置宗輔は、折れないようにバッグへとしまった。

 もうすぐ、高校が見えてくるはずだ。
 鏡ちゃんの黒い愛車は、玉置宗輔の見覚えのある道へと差し掛かった。

 話があると言う鏡ちゃんは、一緒にきたがる神田朱美にはご遠慮願って、
玉置宗輔と二人で高校へと向かっていた。

 色々と言葉は交わしたけど、最後はメール電話してこいで落ち着いた
鏡ちゃんだった。

「正直な。昨日ちょっと、自分が宗輔君になにができるか考えて
 みたんだけど、大したことは思い浮かばなかったんだよね」

 鏡ちゃんは、どんなディープなトークをするときでも、
ケラケラと笑って見せる。

 それが鏡ちゃんのスタイルなのだと、さっきまで車内で鏡ちゃんのディープな
体験談を聞いていた玉置宗輔も、なんとなく理解していた。

「それが悔しくてさ。そんな自分自身にね。
 今が無理なら、明日があるだろうって話さ。だから、ま、
 名刺だけは渡しとくことにしたわけよ」

 鏡ちゃんが、ゆっくりとブレーキを踏み込んだ。
 すでに高校に着いていた。

「色々とありがとうございました」
 車を降りた玉置宗輔は、深々と頭を下げた。

「さて、名残惜しい…… いや、別にそれはないけど、 
 グッドラック、宗輔君!」

 車の窓がゆっくり閉められて、変わらぬ笑顔がそこにあって。
 鏡ちゃんはこちらに片手で手を振りながら、アクセルを踏み込んだ。


 玉置宗輔は、学校の敷地へと足を踏み入れ、自分の自転車を探した。
 休日である今日、まだ部活がある生徒も着ていないようで、すぐに
自転車は見つかった。

「さて、帰りますか」
 自転車にまたがった玉置宗輔は、ゴミ屋敷の有り様を思い出した。
 だけど、玉置宗輔からこぼれたのは苦笑いだった。

 それは、冬とは思えないほど温かい朝の日差しで。
 色んな物が、これからの自分の背中を押してくれているような
気がした。

 これから僕は、あの家に帰る。
 あの場所は、色々と思い出してしまうから、僕にとってはまだ、
トラウマでしかない。また、泣いてしまうかもしれない。

 また、同じようなことを、ああだこうだ考えてしまうだろう。
 だけど向き合うしかなく、なんど挫けそうになっても、
どうにかして、乗り越えるしかない。

 わかっていても、できなかったこと。
 向き合おうと思えなかったことと、僕は触れ合う。

 今、帰り道の景色が少しばかり光り輝いて見えるように、
 明日の景色は今よりずっと、輝いていて欲しいと思う。

 その為にすべきことを、
 僕はこれから、一つずつ考えていこうと思った。
 
 おしまい

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【創作】≪お題30≫ | 21:04:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
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